はい。またもやお久しぶりですー!
すいません。
私は継続ということが苦手なようです。
ちなみに高校の校訓は「継続は力」でした。
でも、ぼちぼち続けているので、たまーに覗いてやってくださいm(_ _)m
今年ももう残り半月をきりました。
はやーい。
2016年は色んなことがありました。
彼がフランスからやってきた
日本のビザを取るのに色々がんばった
結婚した
結婚式した
新婚旅行した
仕事辞めた
学校行き始めた
彼の日本語がびっくりするほど上達した
そして、私の中で最も大きな出来事は、11月15日に母が亡くなったことです。
1ヶ月以上経ちましたが、心にぽっかり穴が空いてしまって、料理しててもテレビみてても何をしてもふと母を思い出してしまって、ことばも音もなにも頭に入らなくなっちゃうんです。
「ぽっかり」っていうのはこういうことなんだな、と妙に他人事のように感じてはいます。
実は9月入ってこれから色々書いていこう〜と思った矢先に母が入院しまして
家で介護をするよりも行き来したり買い物したりと、大変でした。
それでも、どこかでまた元気になって一緒に買い物したり、外食したり、そんな当たり前のことをできるもんだと思っていました。
だって、元気そうな感じだったし。
入院した当初は痛みがひどくて、お母さんじゃなかった。
ひどいことも言われたし、私のこと忘れられたこともあった。
悲しかったし、傷ついたこともあったけど、痛みのコントロールできてからは笑ってたし。
家に帰りたいときかないお母さんの望みは叶えてあげたいと、父はがんばってた。
自分で介護できないか相談したり、オムツの替え方を教えてもらったり。
私には母のオムツを替えるなんて正直嫌だったし、看護師さんに囲まれて入院している方が心も楽だったから、「一人でできないなら、入院させとくべき」なんて父に言ったこともあった。
こんなに早く亡くなるなんて、知らなかったから。
入院しばらくして、元気になって、元気で家に帰るってなんで思ってたんだろう。
結局10月24日、たまたま私の誕生日に退院して自宅介護がスタート。
それと同時に父は介護休暇を取って、母の介護に専念。
私は10月から資格を取るための学校へ通い始めました。
週5日朝から夕方まで。
夜は母と少し話すけど、課題が忙しいとかみたいドラマがあるからなんてちゃんと向き合ってなかった。
このことは、未だに毎晩後悔して泣きます。
なんでもっと話そうとしなかったんだろう。
息をひきとる4日前くらいに、目を覚まさなくなって。
そこで初めて"死"というものを意識しました。
逃げてた。
見ないフリしてた。
でも、母が亡くなる時に、一緒に暮らせていてよかった。
旦那も日本に住むなんていう決断をしてくれて、本当に助かりました。
東京で就職したとき、フランスへ行った時、親の死に目にはあえないと覚悟したつもりでいましたが、やっぱり最期には立ち会えてよかった。
(といっても、私は学校へ行っていて、息をひきとってから1時間後に会えただけですが)
最期まで私たち家族のことばっかり心配しながら、考えながら亡くなりました。
あんな母には私は到底なれない。
私もお母さんのように愛情たっぷり注いで子供を育てたい。そう思います。
母のことを一番大切にしていた父には本当に感謝です。頭があがりません。
(あーだこーだ文句言いますけど)
最期を家で過ごせて、母は本当に喜んでいました。
話が長くなっちゃったんですけど、亡くなって1ヶ月経ってなんとか落ち着いてきました。
母はフルタイムで働いていたので、貯金もそこそこあって
真面目だったので、保険もちゃんと掛けてあって
それらの手続きに忙しいです。
(でも葬儀代で全部消えます。むしろマイナスです。葬儀すんのってべらぼうに高いんだね)
今は学校やら今後のことに目を向けて、これからどう人生を送るか考えてるとこです。
みなさん、人生を謳歌してください。
「人生を謳歌しなさい」
これは母が私によく言っていた言葉です。
会えるうちに、親と、恋人と、友人とことばをたくさん交わしてください。
私も60歳までは生きられないかもしれないと思ったら、1分1秒が惜しいと思うようになりました。
大事なことなので、もう一度いいますよ。
みなさん、人生を謳歌してください。
やりたいこと、たくさんやってください。
私の母のように40、50歳になっても色んな資格取ったり、一人で北海道の友人を訪ねたり、人生を満喫してください。
人生、短いですから。