日本へ帰ってきて、早くも8ヶ月が経とうとしていますっ。
はーやー。
さてさて。
2年前、フランスへ嫁ぐ勢いで大好きな職場を去ってまで決意してフランスへ行ったのに、今わたしが日本にいる理由をお話しておこうと思います。
そもそもワーホリの1年間の後、どうするかってのは決めずに、あまり話し合わずにフランスへ行きました。
そもそも彼と実際には数回しか会ってないし(1回の時間が長いは長いけど)
「まあ、ゆくゆくは結婚したいよね〜ふふふー」くらい。
つーか、さすがフランス人というか、こんなときだけフランス人らしいというか・・・
「結婚」というものに本当にこだわりがない。。。
「え?アヤコしたいならいいよー!しようかー^^」
っておい笑
2014年6月に渡仏して3ヶ月後のある日、
「話があります。Skypeできる?」と親からのメール。
嫌な予感がしました。
”おかんが余命半年”
子宮体がん ステージ4。
体調悪くて検査してたまたまみつかったら、もう末期だった。
びっくりした
ショックだった
どうしていいかわかんなかった
今すぐ日本へ帰ろうと思った。帰るって言った。
そしたら親は「帰ってくんな」と。
「元気だし(・∀・)年末年始のパリ旅行諦めてないから♪」
え。笑
さすがに娘びっくりですわ笑
本心はわかってる。
「わたしのせいで、フランスのワーホリという一生に一度のチャンスを無駄にさせたくない」
そういうおかんなこと、知ってる。
無理してでも帰ってよかったけど、親は帰ること望んでいない。
私がフランスで楽しく過ごせることを望んでる。
それから1週間はずっと泣いてた。涙が止まらなかった。
ベッドにずっと寝て、泣いて、ご飯も食べれなかった。
今思うとそんなんなら日本帰ればよかったかもしれない。
でもそしたら、今の自分はないかもしれない。そう思うとフランスに残ってよかった。
ずっと泣いてる私をみて、彼がずっと心配して声かけてくれて
それなのに、悲しみと苦しみを彼に八つ当たりして、それも嫌になってまた泣いて。
そんな繰り返しの毎日だった。
悲しいのは私だけじゃなかったのにね。
ごめんね。
とりあえずワーホリの1年が終わったら、しばらく日本で暮らすことを決意、彼に伝える。
どっちみち他のビザ取ったりするのも時間かかるし、お金貯めないとだし。
とりあえず、いつでも帰れるよう荷物をまとめた
次の月から決まっていた仕事も迷った
シッター先のママに相談した。
途中で帰ることを頭において、引き継げる人を探し始めてくれると言ってくれた。
仕事も落ち着いてパリもさむーくなって来た頃。
彼が「僕も日本で住むー!^^」
え?なんつった?
「日本で住んでみたかったし♪まずは1年!」
わーい!あざーーーす♡
知ってる、世の中そんなに甘くない笑
彼が日本で暮らせるか?そんなのわかんない。
でも彼がそう言ってくれたのは本当に嬉しかった。
後に「アヤコが日本を恋しがってる、家族を恋しがってる。僕が日本へ行かなきゃと思った」って暴露してきたけど笑
どっちにしろ優しい人なんです。ありがたやー!
じゃあまあワーホリできますかー。
っつうことで
いたんだけど
ね
最後の最後でやっぱPACSするか!ってなって
できなくて
(プチ)プロポーズされて
日本で結婚することになって
私は2015年4月に帰国して
彼待ち! ←いまココ!!(^ω^)
2016年3月頭に来日します(∩´∀`)∩ワーイ♡
あ、しまったしまった。
親の話に戻すと、おかんは幾度もの手術と抗がん治療をがんばって持ち直しました!
抗がん治療の影響で、体中の毛が抜け落ち、体も痩せ、まるで別人のようだったけど
年末年始にパリまできてくれたし(でもやっぱり体調悪くて基本ホテルに入り浸り)
いまではすっかり元気そう!
抗がん治療ですごく頑張ってたけど、結局子宮全摘出。
かと思ったら脳腫瘍がみつかって放射線治療。
実は帰国してからも、何度か手術していて
先月は本当にこのまま死んでしまうんじゃないかと思った。
次から次へと見つかる病。
体調悪いし、動けないし、辛いから、家族に当たるおかん。
ほんのちょっとでも介護らしきものを経験したけど、
あのときは正直しんどかった
病院入院してくれればこっちも安心だし楽なのに、
病院いやだー!とか言って先生に元気アピールして無理して退院するから
お互い辛いってゆう。笑
今となっては笑い話だけど、そのときは本当に辛かったなーあ
親もいつまでも元気だと思ってたけど、そうじゃなかった。
親と離れて過ごされている方
これから外国住まいを目指している方
いろんな人がいると思いますが、とにかく今を楽しんでください。
そして親にもその楽しさを伝えてください。
親や家族が病気になってしまったときどうするかなんて、そのときにならないとわからないと思います。
でも親はやっぱり子どもが幸せであってほしいと思っているはずです。
ありがたいことにうちの親はそうでした。
いまは一緒に住んで、楽しいこと、悲しいこと、辛いことを共有できて嬉しいです。
いつまでこれが続くかわからないけど、しばらくは親に甘えて、彼に甘えて、自分にも甘えて過ごしていこうと思います。